大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松山地方裁判所 昭和38年(ワ)9号 判決 1965年2月03日

原告 喜安正秀 外三名

被告 宮内茂 外一名

主文

(一)  被告らは各自、

(1)  原告喜安正秀及び同トメキに対して、各金一、九〇七、九二六円及びこれに対する昭和三七年一二月一三日から完済まで年五分の金銭、

(2)  原告矢野稔及び同よし子に対して、各金八五八、二三五円及びこれに対する昭和三七年一二月一三日から完済まで年五分の金銭

の支払をせよ。

(二)  原告らのその余の請求を棄却する。

(三)  訴訟費用は、被告らの負担とする。

(四)  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実

(当事者の申立)

一、原告ら

「被告らは各自、原告喜安正秀及び同トメキに対して、各金二五〇万円及びこれに対する昭和三七年一二月一二日から完済まで年五分の金銭、原告矢野稔及び同よし子に対して、各金一二五万円及びこれに対する昭和三七年一二月一二日から完済まで年五分の金銭の支払をせよ。」との判決及び仮執行の宣言を求める。

二、被告ら

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決を求める。

(原告らの請求原因)

一、原告喜安正秀及び同トメキは、亡喜安正の父母で、昭和三七年一二月一二日正の死亡によりその相続人となつた者であり、原告矢野稔及び同よし子は、亡矢野恵子の父母で、同日恵子の死亡によりその相続人となつた者である。

二、被告宮内茂は、松山市内において「勝山タクシー」の商号でタクシー業を営み、普通乗用自動車愛媛五あ二六八六号(以下本件自動車という。)を右業務のため運行の用に供していた者であり、被告福岡啓吉は、被告宮内に雇用されて自動車の運転に従事していた者である。

三、喜安正、矢野恵子の両名は、昭和三七年一二月一一日午後九時四〇分ごろ、松山市鮒屋町八〇番地(通称御宝町交差点)先の道路上を通行していたところ、被告福岡の運転する本件自動車に衝突されてともに転倒し、正は頭蓋内出血、右側頭骨骨折等の傷害を受け、翌一二日午前一時三五分市内出淵町の野本病院において死亡し、恵子は、頭腔内出血、頭蓋骨骨折、右脛骨骨折等の傷害を受け、同日午前八時五〇分市内千船町の梶原病院において死亡するに至つた。

四、右両名の死亡は、被告福岡の過失に基づくものである。すなわち、同被告は、当夜忘年会で飲酒酩酊していたのに本件自動車を運転し、交差点においては特に減速徐行すべきであるのにかかわらず、時速約五〇キロで運転し、前方注視義務を怠り、そのため道路を横断歩行中の右両名に追突し、本件事故を惹起したのである。従つて、同被告は、右両名の死亡による損害を賠償する責任がある。

また、被告宮内は、本件自動車の保有者であるから、自動車損害賠償保障法第三条により、右両名の死亡による損害を賠償する責任がある。

五、喜安正は、昭和八年一〇月二四日原告喜安両名の長男として生れ、昭和三二年三月松山商科大学を卒業し、爾来家業の米穀雑貨商を手伝つているが、身体は健康で、酒、煙草をたしなまず、自動車の運転免許も有し、矢野恵子とは昭和三七年一一月四日婚約が成立し、昭和三八年一月一〇日挙式して家業を継ぐことになつていた。正は、本件事故当時一ケ月二五、〇〇〇円相当の働きをしていたから、その生活費一ケ月五、〇〇〇円を控除しても、年額二四〇、〇〇〇円の純収入があつた。そして、当時二九歳であり、昭和三七年八月二五日厚生省作成の生命表によれば、同年の男子の平均余命は三八・七一年であるが、最終の二年間は老年のため充分の稼働ができないとして控除しても、正が本件事故による死亡のため喪失した今後三六年間の純収入は、これをホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して、優に四、五〇〇、〇〇〇円に達する。原告喜安両名は、正の共同相続人として、右得べかりし損害の賠償請求権を各二、二五〇、〇〇〇円宛取得した。

次に、原告喜安正秀は明治四三年八月六日生、同トメキは明治四五年七月一〇日生れで、ともに五十歳を越えており、長男正に嫁を迎え家業を継がせ、自分らは第一線を退くつもりでいたところ、突如正を失い、悲嘆やる方なく、前途の希望も消え、なすところを知らぬ状態にある。その精神的苦痛は、金銭では計ることができないけれども、慰藉料として各自につき五〇〇、〇〇〇円が相当である。

六、矢野恵子は、昭和一四年三月二四日原告矢野両名の四女として生れ、昭和三三年三月松山北高等学校を卒業、その後松山女学院洋裁科、同師範科を卒業、昭和三六年一月から同年一二月まで和裁を習修、昭和三七年一月からコロナ編物技芸協会松山支部に通学中の者であり、その間嵯峨流華道師範の免許を有し、裏千家の茶道も習得し、かつ珠算も二級の技術を有して、松山北高等学校卒業以来余暇には家業のガラス商の事務を取扱つていた。原告矢野稔において、他に事務用店員を雇用するとすれば、一ケ月一三、〇〇〇円位の給料を支払わなければならなかつたし、また、恵子が喜安正と婚姻後は、喜安家の業務を手伝い一ケ月一三、〇〇〇円以上の収入を挙げたはずである。従つて、恵子は、本件事故当時、生活費一ケ月五、〇〇〇円を控除しても、一ケ月八、〇〇〇円、年額九六、〇〇〇円の純収入があつた。そして、当時二三歳であり、前記生命表によれば、同年の女子の平均余命は四六・七九年であるが、最終の一年余は老年のため収入がないとしても、恵子が本件事故による死亡のため喪失した今後四五年間の純収入は、これをホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して、二、〇〇〇、〇〇〇円に達する。原告矢野両名は、恵子の共同相続人として、右得べかりし損害の賠償請求権を各一、〇〇〇、〇〇〇円宛取得した。

次に、原告矢野両名は、恵子に女子としての教養を積ませ、立派な配偶者をえて、将に挙式しようとした寸前に本件の惨事に遭い、その悲痛傷心やる方ないものがある。その精神的苦痛に対する慰藉料は、各自につき金五〇〇、〇〇〇円が相当である。

七、ところで、昭和三九年九月、本件事故に対する自動車損害賠償保障法による保険金として、原告喜安両名は金五〇〇、〇〇〇円、原告矢野両名は金五〇〇、〇〇〇円を受領しているので、原告らの前記各損害額合計から各金二五〇、〇〇〇円を控除し、被告ら各自に対して、原告矢野両名は各二、五〇〇、〇〇〇円、原告矢野両名は各一、二五〇、〇〇〇円及びそれぞれ右各金銭に対する本件事故の翌日である昭和三七年一二月一二日から完済まで年五分の損害金の支払を求める。

(被告らの答弁)

一、請求原因第一項から第三項を認める。

同第四項中、被告福岡が当夜忘年会で飲酒していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同第五、六項は争う。

二、被告福岡は、本件自動車を運転して、午後九時四〇分ごろ、上一万方面より時速三〇キロないし四〇キロで南進し、御宝町交差点に差しかかつて一旦徐行し、南北各横断歩道上及びその両端に交通の障害・危険のないことを確認して前進したが、前方道路の右側より北進する自動車があり、その前照灯の光芒のため、右交差点南側横断歩道の手前で、本件自動車の前照灯を下向けにして若干進んだとき、喜安正・矢野恵子の両名が腕を組み合つて道路を西から東に進んで来たので、急停車の措置を取つたが及ばず、衝突するに至つた。従つて、本件事故は、第一に、右対向自動車の運転者の過失(離合の際は、双方の前照灯を下向けにして進行すべきであるのに、右運転者はこれをしなかつたため、その前照灯と本件自動車の前照灯の光芒の各死角内に右被害者らが入り、被告福岡には見えなかつた。)、雄二には、右被害者らの後記第四項に述べるような過失によつて発生したもので、被告福岡の過失によるものではない。

三、仮に、被告福岡に過失があつたとしても、本件事故については、次に述べる理由により、被告宮内には責任がない。すなわち、

本件事故当夜は、被告宮内方においては、従業員の忘年会が催され、そのため午後六時ごろから一斉に閉店休業した。そして、被告宮内は、午後五時過ぎ全従業員に対し自動車の使用を禁止したので、従業員は、午後五時三〇分ごろより全自動車を洗車して車庫内に格納し、各車に鍵をかけ、各鍵を事務所内の鍵入箱に始末し、事務所も施錠した。もつとも、被告福岡のみは、午後五時三〇分ごろ松山市立花町までの客があり、これを自己の担当車に乗せて送つたが、客から時間待ちを求められた関係で、午後七時前ごろ帰店して、右自動車を格納施錠し、鍵を右箱に始末した。ところが、忘年会に参加していた従業員の木村功が飲酒酩酊したため、被告福岡は、自己が最古参であるとの好意から、被告宮内の知らない間に、右事務所内に入り、右箱から鍵を持ち出して、無断で車庫から松岡運転手担当の本件自動車を引出し、午後九時過ぎこれに木村を乗せて道後喜多町の同人宅まで送つてやり、その帰途本件事故の発生を見たのである。

被告宮内方においては、全自動車及びその鍵の管理者は被告宮内自身であり、従業員が随時これを使用することは許されていなかつた。

叙上のような事実関係であるから、被告福岡の本件自動車の運行は、主観的にも客観的にも、同被告の私用のための、被告宮内の意思に反した盗用行為にほかならない。

自動車損害賠償保障法第三条によつて、賠償責任を負うのは、自己のために自動車を運行の用に供する者が、自己のための運行中事故を発生させた場合であつて、例えば、友人が自動車を借用して運転したときや、自動車泥棒が勝手に他人の自動車を使用運転したときには、当該運転者が自己のために自動車を運行の用に供したものとして、その者自身が同条による賠償責任を負うものであり、自動車の貸主又は被盗用者は、同条の責任主体とはならない。本件における被告福岡の自動車運行も、右盗用の事例に属するから、本件自動車の抽象的な保有者に過ぎない被告宮内は、本件事故について、同条による責任主体とはなりえない。

四、仮に、被告らに本件損害賠償の責任があるとしても、本件事故の発生については、被害者の喜安正・矢野恵子にも次のような過失があるから、損害賠償額の算定について過失相殺されるべきである。

(1)  歩行者は道路を横断しようとするときは、横断歩道のある場所の附近においては、その横断歩道によつて道路を横断しなければならない。(道路交通法第一二条第二号)しかるに本件事故現場の約一一メートル北方に横断歩道があるのに、被害者らは、この上を歩かなかつた。

(2)  歩行者は、斜に道路を横断してはたらない(同法同条第三号)のに、被害者らは、後藤ビルの地点より漫然本件現場の道路を斜に横断している。

(3)  歩行者は、車輌の直前で道路を横断してはならない(同法第一三条第一号)のに、被害者らは、本件自動車の直前で道路を横断している。

被害者らが以上の各義務を実行していたならば、自動車運転者たる被告福岡は、被害者らを十分注視し事前に発見できて、本件事故は発生しなかつた。

(4)  本件現場附近は、被告福岡の進行方向からは、緑地帯があつて見通しが妨げられる状況にあるが、被害者らのいた地点からは、北方は、直線で見通しのいい幅員約二七メートルもの車道であるから、被害者らが左方を注視していたならば、本件自動車を容易に発見し退避しえたはずである。この点においても、被害者らには重大な注意義務の違反がある。

五、なお、被告福岡は、本件事故の刑事責任として、禁錮一年六月の実刑に処せられた。刑罰は、一面において、被害者(又はその遺族)に対し、その法益に対する侵害が看過されなかつたという満足を与える作用を有することはいうまでもないから、本件においては、被告福岡が右重刑に処せられたことによつて、被害者(又はその遺族)に対しすでに相当の満足を与え、損害ないし慰藉を減じたものと解しなければならない。

(証拠関係)<省略>

理由

一、争いのない事実

被告宮内が本件自動車をタクシー業のため運行の用に供していたこと、同被告に雇用された自動車運転者である被告福岡が、昭和三七年一二月一一日午後九時四〇分ごろ、本件自動車を運転中、松山市鮒屋町八〇番地(通称御宝町交差点)先道路上において、同所を通行していた喜安正及び矢野恵子に衝突して右両名を転倒させ、その結果、正は頭蓋内出血・右側頭骨骨折等の傷害により翌一二日午前一時三五分、恵子は頭腔内出血・頭蓋骨骨折等の傷害により同日午前八時五〇分それぞれ死亡したこと、及び原告喜安両名が正の、原告矢野両名が恵子の各両親であることは、当事者間に争いがない。

二、被告福岡の過失

成立に争いのない甲第八号証から第一二号証、証人高橋博及び同寺岡正子の各証言並びに本件検証の結果を綜合すると、(一)事故当日の夜被告宮内方において、従業員の忘年会が開かれ、被告福岡は、午後七時ごろから午後九時過ぎまでこれに加わり、清酒三、四合を飲んで酩酊し、正常な運転ができないおそれがあつたにもかかわらず、同僚の木村某を自宅に送るため、本件自動車を運転し、その帰路、上一万町方面から御宝町交差点に向けて、道路東側を時速約四〇キロで南進して来たこと。(二) 御宝町交差点より南方にのびている道路は、車道の幅員約一七メートル(その中央に幅員約四メートルの緑地帯があり、また、車道の外側に幅員約三・五メートルの歩道がある。)のアスフアルト舗装の直線平垣な道路であつて、当夜は晴天で、附近に石油販売所の照明があつたため、本件自動車の進行方向から本件事故現場附近への見通しは、かなり良好な状況にあつたばかりでなく、右交差点の南側にある横断歩道の五・六メートル北側の地点に、信号機が設置されていて(本件自動車の進行方向のほぼ正面に位置する。)当時黄色灯の点滅をしていたこと。(三) ところが、被告福岡は、御宝町交差点に差しかかつても、前方の交通の状況に注意を全く払わないで、漫然と同速度のまま、右交差点を越えて南方に進行して来たため、衝突直前まで歩行者の存在に気がつかず、たまたま右横断歩道あるいはその附近の車道を西から東へ横断し、あと数歩で歩道に入ろうとしていた正及び恵子の二人づれに本件自動車の前部を激突させてはね飛ばし、前記のような傷害を負わせたものであること、以上の各事実が認められる。これによれば、本件事故の発生が本件自動車の運転者たる被告福岡の徐行義務及び前方注視義務の違反(その原因は、同被告の注意力が酩酊のため正常よりかなり低下していたことにあると考えられる。)に基因することは明白であつて、従つて、同被告は、本件事故による損害を賠償すべき責任がある。

三、被告宮内の責任

被告宮内は、本件自動車の運行は被告福岡の盗用行為であるから、被告宮内に自動車損害賠償保障法第三条による責任がないと主張する。

そして、証人新本健、同松岡健の各証言及び被告宮内本人の供述によると、被告宮内は、本件事故当時、本件自動車のほか四、五台の自動車を所有してタクシー業を営んでいたが、自動車とその鍵の管理は被告宮内自身がこれに当り、運転手は終業後自動車を格納して鍵を被告宮内に返還し、同被告が事務所内にある鍵箱にこれを保管する通例であり、また、終業時間後に運転手が無断で自動車を使用することは禁ぜられていたこと、本件事故当日も、被告宮内は、忘年会の関係上午後五時に終業するようあらかじめ指示をし、おそくとも午後七時ごろまでには、被告福岡その他の運転手から格納した自動車全部の鍵を受取つて、右鍵箱に納めていたのであるが、たまたま被告福岡が、同僚の木村を自動車で自宅へ送ろうと考え、午後九時過ぎ、無断で事務所に入つて右鍵箱から本件自動車(松岡運転手の担当車)の鍵を取出し、本件自動車を運転し、木村を送り届けた帰路、本件事故を惹起したものであることが認められる。

そうすれば、本件事故当時の本件自動車の運行は、被告福岡の個人的用途のための無断運転であるといえるけれども、自動車損害賠償保障法第三条の損害賠償責任の対象となる自動車の運行とは、保有者がその取扱者として予定している者、例えばその雇用する運転手・助手等による運行である以上、これを客観的外形的に観察し、その運行の具体的目的、動機が保有者の意図に反するかどうかは問うところでないと解すべきであり、本件についても、被告宮内と被告福岡の雇用関係、本件自動車の管理状況(被告宮内本人の供述から見ても、運転手が勝手に鍵を取出して自動車を使用することが、それほど困難でない程度の管理状況であつたことがうかがわれる。)に照らすと、被告福岡の無断運転による本件運行も、客観的外形的には、保有者たる被告宮内のためにする運行と認めるのが相当である。(昭和三九年二月一一日最高裁第三小法廷判決参照)

従つて、被告宮内は、同法第三条により、本件事故における正及び恵子の死亡による損害を賠償すべき責任がある。

四、正の財産上の損害

成立に争いのない甲第一号証及び原告喜安正秀本人の供述によると、正は、本件事故当時、二九才の健康な男子であり、昭和三二年三月松山商科大学を卒業して以来、父正秀の経営する米穀雑貨商に従事し、自動車運転による外廻り・経理等を担当していたこと、右営業は、自動車一台と使用人二名を擁し、市内の同業者の中流に位するものであつたことが認められる。そして、正が右営業に従事することによつて挙げた収益及びその生活費については、その額を確認できる証拠がないのであるが、右に認定した営業規模の同種産業における労働者の賃金統計を求めると、労働大臣官房労働統計調査部発行の昭和三八年度労働統計年報によると、企業規模一~四人の卸売業・小売業における二五才から二九才までの男性住込労働者の平均月間現金給与額は、金二二、〇六四円(昭和三八年七月分)となつており(同年報一二一頁)、正の学歴及び同人が企業主の後継者であることを考えれば、正が死亡当時挙げていた収益相当額は右平均賃金をはるかに上廻るものと推測され、従つて、その生活費を控除しても、その純収入は少くとも月額一五、〇〇〇円(年間金一八〇、〇〇〇円)を下らないものと認定する。次に、厚生大臣官房統計調査部作成の第一〇回生命表によれば、二九才の男子の平均余命は四〇・五九年であるが、原告喜安家の営業から考えれば、正は、少くとも六〇才に達するまで、すなわち本件事故後なお三一年間は稼働可能であつて、その間年間金一八〇、〇〇〇円を下らない純益を挙げることができたものと推認することができる。

従つて、正の死亡によつて喪失した右三一年間の利益の現在価値は、ホフマン式計算法により民法所定の年五分の中間利息を控除して計算すると、金三、三一五、八五二円となる。

X=180,000円×(1/(1+0.05)+1/(1+0.05×2)+1/(1+0.05×3)+………+1/(1+0.05×31))

=180,000円×18.4214

=3,315,852円

そこで、正の共同相続人であることに争いのない原告喜安両名は、正の右財産上の損害につき、各二分の一にあたる金一、六五七、九二六円宛の損害賠償請求権を承継取得した。

五、恵子の財産上の損害

成立に争いのない甲第二号証及び原告矢野稔本人の供述によると、恵子は、本件事故当時、二三才九月の健康な女性であり、松山北高等学校を経て昭和三五年三月松山女学院を卒業し、茶道、華道、和裁を習得し、最近は編物を学ぶかたわら、その余暇に父稔の経営するガラス商の手伝をしていたことが認められる。そして、原告矢野両名は、恵子の右営業手伝が月額金一三、〇〇〇円の給料に相当すると主張するが、原告矢野稔本人の供述によつても、恵子の右営業の手伝が果してどの程度のものであるか明確でなく、他にこれを金銭的に評価すべき証拠は提出されていない。

しかし、原告喜安正秀及び同矢野稔本人の各供述によると、正と恵子とは、昭和三七年一一月婚約が成立し、昭和三八年一月には挙式して原告喜安家に入つて同棲し、やがては右若夫婦が原告喜安家の米穀雑貨商の経営の中心となる予定であつたことが認められ、従つて、恵子が昭和三八年初め結婚した上、主婦として家事労働に従うことはもとより、右営業のためにも相当の労力を提供するであろうことは、確定的であつたということができる。このような小企業経営の中に妻として加わる女性の労働力を金銭的にいかに評価すべきかは、極めて困難な問題であるけれども、算定困難であるからといつて、これを全く無視することは、結果において不当であるこというまでもなく、このような場合には、給料労働者の場合と同様、本人の経歴、その協力する営業の規模等の諸事情に統計資料とを勘案して、その収益の概算を認定すべきものと考える。そこで、前記労働統計年報によると、企業規模一~四人の卸売業・小売業における二〇才から二四才までの女性住込労働者の平均月間現金給与額は、金一〇、三八七円(昭和三八年七月分)となつており、恵子の結婚後の労働の対価は、右平均賃金と同等以上と考えられ、従つて、生活費を控除しても、その純収入は少くとも月額五、〇〇〇円(年間金六〇、〇〇〇円)に相当するものと認定する。そして、前記第一〇回生命表によれば、二四才(二三才九月であるから切上げる。)の女子の平均余命は四八・六三年であるが、右認定の労働であれば、恵子は、正の場合と同様六〇才に達するまで、すなわち本件事故後なお三六年間は稼働可能であつて、その間少くとも年間金六〇、〇〇〇円相当の純益を挙げることができたものと推認することができる。

従つて、恵子の死亡によつて喪失した右三六年間の利益の現在価値は、前記同様の計算によつて、金一、二一六、四七〇円となる。

X= 60,000円×(1/(1+0.05)+1/(1+0.05×2)+1/(1+0.05×3)+………+1/(1+0.05×36))

= 60,000円×20.2745

= 1,216,470円

そこで、恵子の共同相続人であることに争いのない原告矢野両名は、恵子の右財産上の損害につき、各二分の一にあたる金六〇八、二三五円宛の損害賠償請求権を承継取得した。

六、原告らに対する慰藉料

すでに認定した事実からも明らかなように、正と恵子とは、恵まれた家庭に生育して、前記のような学歴及び経歴を経て、婚約し、一月後には結婚式を挙げるまでになつていたものであり(原告矢野稔本人の供述によると、右両名は、本件事故の直前、恵子の姉である向井宏子方へ新婚旅行の相談に行つていたことが認められる。)、双互の家族からも祝福を受け、人生の最も幸福であるべき季節の真最中に、突如輪禍によつて生命を奪い去られ、しかも、その加害行為たるや、酩酊運転によつて歩行者をはねとばすという無残な態様であつて、正及び恵子の各両親である原告らが本件事故によつて絶大な精神的苦痛を蒙つたであろうことは、察するにかたくない。これらの点に本件諸般の事情を綜合して、原告らに対する慰藉料は各金五〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。

七、過失相殺の主張

被告らは、本件事故の発生については、正及び恵子にも過失があつたとして、種々の点を主張する。

しかし、まず、正及び恵子が、本件事故発生当時、横断歩道からかなりはずれた車道上を通つていたこと、また、斜に道路を横断していたことについては、その事実を確認するに足りる証拠はない。(前記甲第八号証によると、正及び恵子が事故直後に倒れていた地点は、御宝町交差点南側の横断歩道から約一一メートル離れていることが認められるが、前記甲第九号証中の写真からうかがわれる本件自動車の前部の破損状況から見れば、強大な力で右両名をはね飛ばしていることが推測されるから、右距離関係から直ちに右両名が横断歩道をはるかに離れた地点を横断していたと断定するわけにはいかない。)

また、仮に、一歩ゆずつて、右両名に道路を横断する歩行者として、何らかの道路交通法上の義務違反があり、本件自動車の進行して来た方面を細心に注意していたとすれば、本件事故の発生を防ぎえたものとしても、その過失の程度は、先に認定した加害者たる被告福岡の重大な過失と比べて、はるかに軽微というべきであり、歩行者優先の見地(すでに認定したとおり、右両名は少くとも横断歩道に接近した地点を歩行中であり、あと数歩で車道を横断し終るところであつた。)よりしても、本件損害賠償額の算定について過失相殺を適用することは、相当でないと判断する。

八、結論

ところで、本件事故に対する自動車損害賠償保障法による保険金として、原告喜安両名及び同矢野両名が両名ごとに金五〇〇、〇〇〇円宛を受領したことは、原告らの自認するところであり、これを本件損害額から控除する旨主張しているので、結局、本件において、被告らの支払うべき金銭は、原告喜安両名に対しては、前記認定の財産上の損害と慰藉料の合計各金二、一五七、九二六円から金二五〇、〇〇〇円宛を控除した各金一、九〇七、九二六円、原告矢野両名に対しては、前記認定の財産上の損害と慰藉料の合計各金一、一〇八、二三五円から金二五〇、〇〇〇円宛を控除した各金八五八、二三五円となる。(なお、右保険金が、どのような内訳で、本件の各損害を補填したかについては、当事者間に主張立証がないので、前記認定の財産上の損害と慰藉料の各金額に比例按分して補填されたものと認めるほかない。)

よつて、原告らの請求は、右各金銭及びこれに対する本件損害発生の翌日である昭和三七年一二月一三日から完済まで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める限度において正当であるから認容し、その余の部分は理由がないから棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 橋本攻 吉川清 上野智)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例